最後の槍ヶ岳  

これは自分への反省を込めて書いたものです。m(_ _)m

 話は5年前の2003年に始まります。受験を控えていた小学5年生の息子の気分転換になればと思い、その夏に二人で槍ヶ岳に登山しました。私にとって久しぶりの山行となりましたが、天気にも恵まれ、素晴らしい思い出になりました。息子は、現在、高校生になっていますが、その時の印象がよほどよかったのでしょう。彼の提案で、2008年の夏、同じルートを家族で行くことにしました。家族5人全員で行きかったのですが、子供たちはそれぞれ忙しく、スケジュールを合わすのに苦労しました。結局、長女は大学の実習のために行けなくなり、私、女房、息子、下の娘の4人での山行となりました。
 5年前は、夜行のバスで信州に行き、そのまま登山しましたが、今回は人数もいるので、大阪からは車で行くことにしました。夜を徹して運転し、そのまま登山という強行スケジュールは無理ですので、信州へは観光を兼ねて、ゆっくりの移動することにしました。

最初の日は、合掌造りで有名な白川郷や飛騨高山を巡り、その日は上高地への入口の沢渡の駐車場にて仮眠しました。
2日目にタクシーで上高地まで入り、槍沢ロッヂまで歩きました。ここまではいたって元気でした。
3日目に槍ヶ岳の登頂に成功しましたが、11時間近くも行動しており、疲労はピークでした。小屋に戻ってから調子が悪くなり始め、咳が止まらなくなり、体を横にすることができず、机に座って夜を明かしました。眠ることもできず、その夜は、まさに地獄のような時間を過ごしました。
4日目は下山ですが、とても歩く力が残っていません。小屋の中を2Fに上がるだけで息が切れます。このまま歩いても、途中で動けなくなりそうです。結局、小屋から救助要請を長野県警に出してもらい、ヘリコプターで救出されました。

----- 最後は大変なことになりました(以下をクリックしてください) --------------

 ○ 8月9日 (世界遺産の白川郷と飛騨高山観光)

 ○ 8月10日 (上高地から槍沢ロッヂ)

 ○ 8月11日 (山頂目指して)

 ○ 8月11日 (山頂へのアタック)

 ○ 8月11日 (下山)

 ○ 8月12日 (ヘリによる救出と入院)

 ○ おまけ (山で出会った花)

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