念願の萩往還踏破へ  

萩往還とは
 昔、萩城から瀬戸内海の三田尻港を通って萩藩主が江戸に参勤交代していた。
その街道が萩往還である。江戸時代に重要な交通路として発達し、幕末には多くの
維新の志士たちが往来したことであろう。日本の夜明けに重要な役割を果たした街道
といえる。
 その後、この道は廃れたが、今から25年くらい前に、山口県が、この街道の整備に着手
し、萩往還ルートマップ(300円で市販)が1988年に作成された。最近、萩往還散策マップ
第一〜四部(無料配布)が多くの人の協力で作成され、こちらは、とても詳しい情報が載っ
ておいる。今回、これを見て史跡めぐりをしつつ、萩往還を二日かけて歩いた。
 萩−三田尻間は約53km(萩−山口31km、山口−防府22km)。瀬戸内海と日本海を結ぶ
幹線道路として、その後、舗装されているところもあるが、旧道や山道として、その名残
がいたるところで見られる。歴史を辿る道としても、なかなか趣のある道である。

踏破日時
 2007年8月3日  台風が通り過ぎたその日に防府を出発。その夜は山口に宿泊し、
翌日に香山公園や鶏錦の滝などの寄り道をしながら萩まで歩いた。
 8/3(防府〜山口22km/歩行時間(実質)7時間
 8/4(山口〜佐々並〜明木市〜萩31km/歩行時間(実質)11時間

なぜ、歩こうと思ったか
 かつて萩往還は今ほど大々的には注目されていなかったが、私は、この道を知っていた。
実は、幕末の激動時代に憧れて富山から山口大学文学部史学科に入学したすごい人に
いろいろ教えてもらっていたからである。その影響で防長国境碑などを巡ったことがあった。
その当時、道は荒れ放題であった。そういうこともあり、この街道がメジャーになる前から興味
を持ち、常々歩きたいと思っていた。そういうことで、実は25年ほど前に、萩から防府まで一日
で歩いたことが一度あった。その時は今ほど道が整備されておらず、その道が正しいのか
どうかもわからず、とにかくアスファルトの道を基本に一人とぼとぼ歩いたのを覚えている。
 今回、本当の道を歩きたいと思い、情報を集めて再挑戦することにした。ただし、若い頃
とは体力に歴然の差がある。近年、どんどん太ってきており、運動もしていない。せめての救い
が昨年から始めたダイエットのためのウォーキング。しかし、自信がないので山口に一泊し、
二日かけて逆コースの防府から萩までを歩くことにした。本記録は、その踏破をまとめたもの
である。私見も入れながら道中の史跡をたくさんの写真で紹介している。

----- ボリュームが大きいので下記の4部構成にしました。まずは8/3から ------------

 ○ 8月3日(一日目)  いざ出発(三田尻(防府)から山口へ)

 ○ 8月4日(二日目)  山口から防長国境へ

 ○ 8月4日(二日目) 防長国境から萩を目指して

 ○ もう一つの萩往還(注意)

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